つぶやき
生成AIで故人の写真を動かすことは供養になるのか?|川口市の葬儀社 永遠セレモニー
生成AIが変える葬儀のかたちについて、私たちが思うこと
東川口駅より徒歩2分「終活の窓口 永遠セレモニー」の三牧です。
最近、故人の写真をもとにAIで映像を生成するサービスが話題になっています。
実際に、導入葬儀社が全国で850箇所を超えたというニュースも目にしました。
テクノロジーの進化が、葬儀や供養の世界にも大きな変化をもたらしていることは事実です。
一方で、葬儀に携わる者として、そして一人の人間として、私は少し立ち止まって考えてしまいました。
AIで「動く故人」を見ることは、本当に供養になるのか
そのサービスでは、故人の写真をもとに、自然な表情や仕草を再現した映像が作られるそうです。
「まるでそこにいるかのようだった」
「思わず涙があふれた」
そう感じるご遺族がいらっしゃることも、理解できます。
決して、それを否定したいわけではありません。
ただ、私自身は亡くなった故人をAIが動かすことに、強い違和感を覚えました。
それは“思い出”ではなく、AIが作り出した虚像ではないか
私自身、AIが写真を動かす動画を受け取ったことがあります。
けれど、そこに映っていたのは「確かに自分の写真なのに、自分ではない何か」でした。
学習量を増やせば精度は上がるのかもしれません。
それでも、そこにあるのはAIが作り出した映像であり、実際に過ごした時間や記憶そのものではありません。
思い出とは、本来、本物の写真や、胸の中に残る記憶の中にあるものだと、私は思うのです。
SNSで見かける「優しい嘘」に感じる、複雑な気持ち
最近ではSNSで、
「亡くなったおばあちゃんに、孫を抱かせてあげたい」
「生きているうちに見せられなかった写真を作ってほしい」
そんな依頼も多く見かけるようになりました。
AIによって作られたその画像に、救われる人がいることも事実でしょう。
それを間違いだと断言するつもりはありません。
けれど、その“作られた光景”に人が感動し、涙することが当たり前になっていく未来に、私は少しだけ疑問を感じてしまいます。
葬儀は、現実と向き合うための時間
葬儀とは、本来、
- 亡くなったという現実を受け止めること
- 悲しみと向き合うこと
- 感謝や別れの言葉を、心の中で交わすこと
そうした静かで、決して楽ではない時間だと、私たちは考えています。
テクノロジーによって悲しみが和らぐことがある一方で、
現実から目を逸らしてしまう危うさも、同時に抱えているように思えてなりません。
永遠セレモニーが大切にしたいこと
永遠セレモニーでは、「無理に感動を作らないお葬式」を大切にしています。
派手な演出や新しい技術よりも、
- 一枚の写真を囲んで語る思い出
- 静かな時間の中で流す涙
- 心の中で交わす「ありがとう」
そうした人間らしいお別れを、何よりも尊いものだと考えています。
AIが悪いわけではありません。
ただ、すべてを技術に委ねていいのかどうかは、
これからの葬送文化全体で、丁寧に考えていく必要があるのではないでしょうか。
さいごに
このブログは、特定のサービスや考え方を否定するものではありません。
ただ、葬儀に携わる者として、
「本当に大切なものは何か」を、あらためて考えるきっかけになればと思い、率直な気持ちを書かせていただきました。
川口市・さいたま市で葬儀や家族葬をご検討の方へ。
形式や流行にとらわれず、ご家族にとって納得できるお別れを、一緒に考えていけたら幸いです。
この画像は、AIに聞いた「優しい葬儀屋さんのイメージ画像」です。
永遠セレモニー
三牧